”人情マーケター”の生沼です♪

先生の治療院が繁盛したら嬉しいですか?
そのために何をすればいいか、知りたくありませんか?

 

答えは「◯◯◯体質」になることです。

 

これから、◯◯◯体質についてお話しします。

それは、わたしが人生の崖っぷちに立っていた時に聞いた恩師の言葉です。

 

わたしは、埼玉県越谷市で1人治療院を経営しています生沼秀明(おいぬまひであき)といいます。

 

わたしは今、治療をやりながら、治療院やサロンを経営している先生にマンツーマンで独自の”人情マーケティング”のアドバイスもしています。

 

 

今までわたし自身が、経営でどん底を味わって苦しい思いをしてきました。

 

自分にまったく自信がなくなり、家族ともギクシャクした状態を経験してきました。

 

以前のわたしのように、

今苦しんでいる先生が稼ぎ続けられるようになり、家族や地域のみなさんに喜ばれながら幸せになってもらいたいという想いからアドバイスしています。


幼少期のわたし


 

 

わたしは、幼少期から勉強が苦手(偏差値42)で、引っ込み思案で人見知りが激しく、あいさつもできず、いつも母親の後ろに隠れてしまう子供でした。

 

なので友達ができるまで、ものすごく相手を観察して、どんな人かを知るまでは心を開けない、そんな子供でした。

 

こんなわたしでしたが、

体を動かすことが大好きで、特に走ることが大好きでした。

 

頭も使わないし、走っているときは人に接しなくてよかったからかな(笑)

 

そして、わたしには3分違いの双子の兄がいます。

一卵性なので「そっくり!」ってよく言われます(笑)

 

兄弟でムダに走るのが早かったので目立ってしまっていました。

 

それがわたしはとても嫌いでした。

 

どこが嫌いなの?と思うかもしれませんね。

 

普通なら、ヒーローで周りからちやほやされて嬉しいのでしょうが、

わたしは目立つことが恥ずかしく、反対に「そっとしておいて!」と思っていたのを今でも記憶しています。

 

 

また、父親の影響で小学1年から地元の少年野球チームに入りました。

 

小、中、高校とずっと野球を続けてきたので、体力や忍耐力などはついたと思いますが、人とのコミュニケーションがずっと苦手なまま過ごしてきました。

 

 

特に高校の時、女子の方が6:4ぐらいで多くいたのですが、特殊な学校で2年生から男クラ(男のみ)になり、高校時代はほぼ女子と話した記憶がありません(笑)

 

勉強もできなかったわたしは、高校卒業後に自動車整備士の仕事につきました。

 

友達がトヨタに就職したので、わたしは日産!!って感じでした。

 

特にやりたことがなかったんです。

 


21歳での出来事


そんなわたしでしたが、21歳の時に大きな出来事がおきました。

 

当時付き合っていた彼女との間に子供ができたんです。

 

当時からわたしは、彼女といずれ結婚しようと思っていたので、

 

父親からぶん殴られ、彼女の母親からも会ってもらえないほどの状況になりましたが、結婚することができました。

 

生まれてくる子供と彼女のために「絶対に幸せにする」と誓いました。

 

が、当時の仕事の給料が手取りで13万円。

 

生活が厳しかったので、毎日深夜1時半に起き新聞配達をして、日中は自動車整備士の仕事をする毎日でした。

 

しかしこんな生活が長く続くはずがありません。

 

体力に自信があったわたしですが、毎日約3時間の睡眠でだんだん余裕がなくなり、

 

自分のことで精一杯、コミュニケーションもあまり取れず、妻ともギクシャクしていきました。

 

お客さんの車を引き取りに行った帰りに、居眠り運転してしまい事故を起こしてしまったこともあります。

 

「絶対に幸せにする」と誓ったものの、お金と時間がない生活は本当に辛いものでした。

 

さらに子供が3歳の時、大病を患い都内の大学病院に入院する日々が続きました。

 

ますます生活がすれ違い、お金もなく、気持ちのすれ違いも続き、

 

結局、6年で離婚という形になりました。

 

その時、全て自分の責任だと責め、うつ状態になり1年くらい本当に生きているのがつらい時期でした。

 

しかし、生きていかなければいけません。

当時、

6歳だった子供がバスが好きだったので、やることが見えなかったわたしは、バスの運転手になろうと決めました。

 

バスの免許取得後、路線バス、観光バスなど求人を探す中で、介護バスの求人が目にとまり、これからの時代を考えて介護バスの運転手になりました。

 

主な仕事は、介護施設でのデイサービスや、泊まりに来る人の送迎でした。

日中は、利用者さんの話し相手です。

 

話し相手はわたしの苦手なことでしたが、利用者のみなさんが優しく接してくれて、人に慣れていったのはこの頃からかもしれません。

 

そんな施設で仕事をしていたある日、白衣を着た先生が目に飛び込んできました。

 

その先生は、利用者さんのカラダをケアしていて、利用者さんが嬉しそうにお礼を言って先生に頭を下げているのを見て衝撃が走りました。

 

これがわたしが治療家を志すきっかけです。

 

 


30歳で治療家を目指す


 

こんなわたしでも「人の役に立ちたい」と思い、30歳、2度目の結婚と同時に柔道整復師を目指し始めました。

 

また治療家を目指し始めてから苦手を克服するため、自己啓発などの勉強を始めたのもこの頃からです。

 

はりきゅう整骨院での見習い、整形外科勤務、はりきゅう整骨院院長など約10年間経験しました。

 

はりきゅう整骨院院長時代には、1日平均30名だった患者数を1年で平均98名、売上を3倍にしたり、役員に就任したりと、やっと追い風が吹いてきていました。

 

が、しかし・・・

 

ここでまた大きな出来事が起きました。

 

父親に肺ガンが見つかったんです。しかもステージ4でした。

 

父親以外の家族が病院に呼ばれ、「治療しても1年、しなかったら半年でしょう」と無常の余命宣告。

 

それまで大きな病気がなかっただけに家族全員のショックは計り知れないものでした。

 

手術ができない状態で、抗がん剤と放射線治療を受ける日々。

 

髪は抜け、やせ細り、咳き込み、息苦しそうにしているのを見るのがつらい日々でした。

 

がんばって治療を受けてきましたが・・・闘病生活約1年、67歳で旅立ってしまいました。

 

苦しいにも拘らず、一切弱音を吐かず完治を目指して病と戦う、本当に素晴らしい父親でした。

 

そんな父親の死を目の前にして、「おやじは人生を後悔しないで終えたのだろうか?」と人生観を考えさせられました。

 

その頃のわたしは、このまま病院の役員でやっていこうか、開業するかで悩んでいた時期でもありました。

 

それは、1日のほとんどを仕事の時間に費やされ、家族との時間がほとんどなかったからです。


開業そしてどん底へ


父親の死をきっかけに「後悔しない人生を送りたい」という思いと、

 

1度離婚している経験から「どうせやるならお客さんに喜ばれながら、もっと家族のためにお金や時間を手にいれたい」と考え、思い切って独立開業しました。

 

当時わたしは、自信を持っていました。

 

保険診療をずっとやってきたわたしは、これからのことを考え自費治療のみの整体院として受付けスタッフを1人雇いオープンしました。

 

オープンして3ヶ月がたち大盛況のはずが・・・

経費を払うだけで精一杯の状況。

 

自費治療にしてわかったことですが、マネープレッシャーがかかり、お金をもらう罪悪感が出てしまい売上げが全く上がらなかったのです。

 

「このままではまずい!」と思い、考えたのが保険治療。

 

慌てて保険治療の手続きをして開始しました。

 

保険治療を開始したことで、徐々に忙しくなり売上げは上がっていきました。

 

ただ、

 

本来自費治療のみで経営していきたいと思っていたわたしは、やりたくない方法で売上げを上げていたので、体の疲労とストレスを感じながらの毎日でした。

 

そんなある日・・・

 

知り合いの先生から連絡があり、久しぶりに会って話をしました。

 

その先生から治療以外でも稼ぐ方法があるからと勧められました。

 

当時のわたしは「こんな魅力的な稼ぎ方があるのか!」とただただ先生の話に引き込まれていきました。

 

疲労とストレスが重なっていたためなのか?これからの将来に不安を持っていたのか?

 

多分両方あったのでしょう。

 

それがまた悲劇の始まりでした・・・

 

家族の反対を押し切り、その先生に勧められたビジネスを治療院と並行して始めました。

 

その先生の勧めで、お客さんまで巻き込む形となってしまい、お客さんからの信用を失い、結果的に350万円以上のお金も失いました。

 

わたしは、完全に人間不信に陥りました。

 

家族にも迷惑をかけてギクシャクしてしまいました。治療院経営まで影響を受け、どん底状態になりました。


人生の転機


もうどうしていいかわからず、新聞配達をしながら何とか食いつないでいた時、フェイスブックで同じ整体の学校で学んだ先生の投稿が目に飛び込んできました。

 

その先生は、都心の自宅のタワーマンションの1室で治療していて、単価も高く繁盛しているにも拘らず、夜中にポスティングをしていました。

 

すぐに連絡をすると、店舗経営塾で学んでいるとのこと。

 

もう一度治療院を立て直すのに自分の力ではどうすることもできなかったわたしは、さらに借金をしてその塾に可能性を賭け学ぶことにしました。

 

学び始めて少しすると、店舗の更新時期がありました。

 

塾を紹介してくれた先生のアドバイスもあり、店舗の更新はせずに自宅のリビングでベッド1つからの再出発を図りました。

 

その後、

 

1年半ほど経営塾やグループコンサルで教わり、最悪の状態からは抜け出したものの、収入に波があり安定した生活にはなりませんでした。

 

そこで、経営塾を紹介してくれた恩師にお願いして、マンツーマンで経営を教えてもらうようになりました。

 

恩師は、わたしでは到底かなわない優れた人格者でした。

 

その恩師から、人の役に立ちたいのであれば

「喜ばれ体質」になること、

 

「常に相手の立場になって考え、
喜ばれることを与えていると

与えられるようになる!」

教えてくれました。

 

わたしはこの言葉を聞いて「今まで家族やお客さんのために」と思ってやってきたつもりでしたが、自分のことしか考えていないことに気づかされました。

 

わたしはこれまでの失敗から、自分に自信が持てず、できないと勝手に思い込んでいました。

 

だから自分の可能性をあきらめかけていました。

 

でも恩師が言ってくれたんです。

 

「先生には素直でまっすぐな心が
あるじゃないか」

すごく嬉しかったです。

 

恩師に言われたように、常に相手の立場になって考え、喜ばれることを普段の生活から考え取り組んでいくようにしました。

 

喜ばれ体質に変わるよう努力してきました。

 

心理学やコーチング、コミュニケーションの勉強もしました。

 

そして、こんなわたしでも人の役に立てたんです。

 

独自の”人情マーケティング”を確立し、通い続けてくれる方がどんどん増え、多くの痛みを抱えた人の支援をしています。

 

痛みと戦っている人のお手伝いができて、

「先生のおかげで長年の痛みから解放されました」
「先生に出会えてよかったです」
「ずっとお世話になります」など

 

うれしい言葉を言ってもらえます。

こんなわたしでも人の役に立てているんです。

 

人に喜ばれるって大事です。

「人に喜びを与える人は、
人から喜びをもらえる」
んです。

 

みんなが喜び合えたら素晴らしいですね。

 

 

わたしの長い話がやっと終わります。

 

わたしは小さい頃から自分に自信がなく、意見もまともに言えない子供でした。人と接するのが苦手な人間でした。

 

こんなわたしでも

「人の役に立てるような人間になりたい」と思っていました。

 

でも周りからお前は無理だって言われてきたし、自分でもあきらめていました。

 

でも恩師は、

「喜びを与えれば与えられる」って教えてくれました。

 

自分には無理、できないなんて思い詰めることないんです。

その気持ちさえあれば、人の役に立てるんです。


最後に


そして、最後にもう1つ。

わたしが意識していることがあります。

「いつか、つながる」ってことです。

 

わたしの所には、経営に困っている先生が集まっています。みんな人の役に立ちたくて経営している人ばかりなんです。

 

その先生たちにマンツーマンでわたしの経験してきた全てをアドバイスしています。

 

わたしは恩師から教わった

「喜ばれる」

気持ちを大切にしています。

 

だから、そんな先生たちに巡り会えたんです。

 

 

喜ばれる心があれば、素晴らしい人たちに巡り会えます。

 

そして、それが経営にもつながっていくんです。

 

きっと、いつか、先生ともつながれると信じています。

その時は、わたしの全てをアドバイスしたいと思っています。

 

ということで、わたしも喜ばれるようにがんばりますので、

もし、1人で悩んでいるのであれば、

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